東京大学東アジア藝文書院(East Asian Academy for New Liberal Arts, EAA)は2019年度から毎年、「30年後の世界へ」を共通テーマとしてこのオムニバス講義を開講し、様々な角度から「世界」を問うてきました。世界はわたしたちの外側にあるのではなく、わたしたちが世界を創っているのだと言えます。世界を問うとは、既成の価値を疑いながら未来に関与することです。問いは智慧を発動させ、その智慧を育むのが大学という場所です。この講義は大学の役割を行為的に表現し、大学の新たな価値を生みだす実験なのです。特に2023年度は「空気の価値化」という命題を学内外だけでなく社会と連携しながら問うてきました。
さて、30年後の世界はどうなっているでしょうか。気候変動の影響を最小限に抑えるための目標として、多くの国々が炭素排出量実質ゼロ(カーボン・ニュートラル)実現の期限に定めているのが2050年です。しかしその実現がきわめて難しいことはいまや半ば公然の事実になりました。たとえ目標が達成されたとしてもそれで気候危機が解決されるわけではなく、わたしたちはその後も長期にわたって、自らの文明が生みだした様々な災害——自然災害、戦争、圧政、貧困など——の中で生きていかなければなりません。わたしたちは、21世紀の後半に向かって、長い危機の時代を生きていくことになります。これこそは、「30年後の空気」が規定するわたしたち人類の基礎条件です。そこで、2024年度は「30年後」を越えて、この「危機の空気/空気の危機」の中から希望を見いだすべく、以下の三つの柱を中心に皆さんと議論したいと思います。
1 復興の技法。人は他と共同しながらつねに自らを変容させ、成長していきます。危機を変容や成長を促す好機であるととらえるなら、「復興」とは人間の変容と成長のプロセスそのものであると言えるでしょう。危機の中からわたしたちはどのような復興のあり方を想像するでしょうか。またテクノロジーはどのような役割を果たすべきでしょうか。
2 ロゴスの複雑化。世界は分断の時代に入ったと言われます。20世紀までの世界を支えてきた政治制度の枠組みは地殻変動のように長期にわたる大きな変革を被りつつあります。いまの世界を構成している政治のロゴスは十全なものではないのかも知れません。世界をあらわす(表す/現す/著す)ロゴスを豊かにすることが不可欠でしょう。
3 惑星時代の人間。人新世やプラネタリー・バウンダリーなどの概念は、近代的な人間観の改変を促しています。「人間」とは何か?この終わりなき存在論的問いを、人間を棲まわせているこの地球という環境との連続の中で再び定義することは可能でしょうか。可能であるとして、それはいかにして可能になるでしょうか。
「30年後の世界」に希望をもたらすのは、他ならぬわたしたち自身です。皆さんと「問い」を共にして、この講義をポスト2050に向けた希望の出発点にしたいと思います。