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最終更新日:2025年4月21日
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環境倫理学
ポスト人新世の環境倫理
持続可能な社会を実現するために、わたしたちが必要としているのは、個人あるいは集団の生き残りをかけて、科学的知識とデータをもとに、資源をうまく循環し管理する社会を設計することだ。こうした持続可能性に関する考えは、たとえばSDGsを眺めてみても、広く共有されているように思える。気候変動と気候正義をめぐる議論は、こうした「生き残り」にいよいよ切迫性をもたらし、何かに駆り立てられつつも、具体的な手立てが日常にないもどかしさも日々加速していく。
他方で、持続可能な社会とは具体的にはどのような社会なのか、その中でのわたしたちの生活はどのようなものになるのか考えてみると、意外にうまく思い描くことはできないのではないだろうか。わたしたちの社会は、これまで基盤としてきたゆるぎない「自然」によりかかることはもはやできない。わたしたちは、人間活動がもたらした未知の惑星システムに生きている。かつてなく不確実性を増した惑星システムのなかで、いかに資源利用と保全の確実性を生み出すか。野生や里山など概念化された「自然」はそのための柱となりうるのだろうか。持続可能な社会の実現のため、生命工学によって生み出される「自然」や「生命」と、どのような関わりをつくっていくことができるだろうか。
また、「生き残りをかける」といったときに、わたしたちの間で、そして未来世代との間で、公正さはどのように実現されるのだろうか。公正であるとはどのようなことを意味するのだろう。また、持続可能な社会において、わたしたちはどのような、そしてどのように「よりよく生きること」を追求できるのだろうか。そもそも、わたしたちの存在の豊かさとは何を意味するのだろう。こうした問いにうまく向き合えず、答えが探せないまま、持続可能な社会という言葉がわたしたちの先を歩いているようだ。
本講義では、こうした問いに取り組んできた二つの近接する分野、環境社会学と環境倫理学の議論を参照しながら、科学技術が生み出す新しい生命や自然と向き合うための、それらを想像し生み出すための倫理的指針や実践について探求する。喫緊の課題だからこそ、立ち止まって考えることも必要になる。講義ではそれぞれが思考をめぐらせ、言葉をやり取りすることを通じて、まずは各々が立ち止まることから始めてみたい。
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