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最終更新日:2026年10月1日
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表象文化論実験実習II
授業のからくり(表象文化論の場合)
本来、2026年Sセメスターには大学院の授業を担当する予定はなかったが、大人の事情(?)で急遽教えることになった。したがって、扱いたいテーマやトピックを絞る時間も、授業の形式や計画を練る余裕もなかった。仕方ないので今回はその逆境を逆手にとることにした。
この授業では、「大学院の(より正確に言えば、東京大学表象文化論コースの)《授業》とはそもそもなにか」を、参加者全員で考察する。授業とは通常、知識や方法を伝達するための既成のフォーマットとして前提され、その内側でなにを扱うかが問題になる。しかしここでは逆に、そのフォーマット自体を対象化してみたい。つまり、《授業》という制度的かつ実践的な装置が、どのような要素から構成され、どのような条件のもとで作動しているのかを、一度ばらばらに分解してみるのだ。
具体的には、この(それなりに)特異なフォーマットを構成しているさまざまな要素──教員と学生という役割、時間割というリズム、教室という空間、シラバスという予告、発表や議論という上演形式、そして単位や評価といった制度的な回路──を炙り出し、それらを規定している条件を多角的に点検する。そのうえで、それらを組み替えたり、ずらしたり、極端にしたりするさまざまな実験(リハーサル)を行いながら、「《授業》とはなんでありうるのか」に関する、(ある程度)抽象的なヴィジョンと(ある程度)具体的なプランを制作する。完成したプランは、2026年Aセメスターの大学院授業として実際に上演される予定である。
もう少し真面目なことを言えば、自分が大学院時代を過ごしたアメリカと比べると、日本の大学院生の多くは将来大学(院)教員を目指しながらも、実際に大学の授業を計画し、準備し、教える機会にあまり恵まれていない。だが研究者にとって、「授業」という営みは研究の外側にある副次的な仕事ではなく、むしろ知識や思考が実際に編成される現場のひとつでもある。にもかかわらず、その形式そのものについて考える機会は意外なほど少ない。
この授業は、そうした《授業》という装置を一度「リハーサル可能なもの」として扱ってみる試みである。言い換えれば、まだ存在していない授業を想像し、そのプロトタイプを作り、次の学期に実際に上演してみる。その過程で、大学という場所でなにが起こりうるのか──そして授業という形式が、どこまで変形可能なのか──を探ってみたい。
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