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最終更新日:2025年4月1日
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学術フロンティア講義 (30年後の世界へ——変わる教養、変える教養)
30年後の世界へ——変わる教養、変える教養
2024年、東京大学教養学部は、第一高等学校の前身である東京英語学校の設立からちょうど150年を迎えた。1949年に新制東京大学のもとで教養学部が設置される前から、「教養」ということばは、一高に象徴される知的エリートへのあこがれのみならず、つねに批判を伴いながら、日本の社会に広く根づき、戦後になると、各大学に教養課程が設置され、日本の高等教育の風景を長らくかたどってきた。1990年代以降、その風景は大きく変わり、もはや大学における教養教育の共通像は消え去り、一方で、教養の学問を独自の思想で掲げる大学や学部が個性を放っている。東京大学もその一つだ。学部教育の最初の2年間をすべての学生が教養学部で過ごすという東京大学のモデルは世界的にもユニークであり、したがって、教養教育は東京大学が独自の価値をグローバルにアピールできる最大の特徴の一つとなっている。
しかし、教養とは結局、何を指すのだろうか。そして、なぜ東京大学では教養をかくも重視するのだろうか。東京大学は、教養の理想を高く掲げることによって、どのように広く社会の発展に寄与しようとしているのだろうか。とりわけ、東大の中で教養の学問を専ら営む教養学部は、いかにして社会からの付託に応えようとしているのだろうか。
複雑さと不安定さが増す今日の人類社会——「VUCA」の時代——において、学問の貢献は益々重要になってきている。そのことは同時に、教養に対する社会からの呼び声が高まっていることを意味している。教養はいま、社会を変革するための智慧として希求されているのだ。産業界でも教養とリベラルアーツに対する渇望が日増しに高まっている。では、わたしたちが教養学部で日々行っている学問は、こうした社会からの求めに答え得ているだろうか。社会的有用性の追求は学問の独立を損なうという意見もあるだろう。もし仮にそうであるとしても、敢えて無用性に甘んじること自体の意義と価値を主張する必要から逃れることはもはや不可能だろう。
教養概念の一つの解釈は「リベラルアーツ」である。中世ヨーロッパの「自由七科」までもどらずとも、アメリカのリベラルアーツ・カレッジのように、それはつとに確固たる地位を確立している。東アジア諸大学においても、21世紀に入って以来リベラルアーツ学部が新たに設置され、その多くが大いに活況を呈している。教養には社会的効用のポテンシャルが多分に孕まれているだけではなく、その価値は広く社会に認知されている。これは揺るぎない現実だ。
にもかかわらず、人々が求める教養には無数に異なったイメージがある。それはまるで、一人ひとりの人がみなそれぞれに異なった人生の道を歩くことを望んでいるのと同じだ。教養とは、人がより人らしく変化していくプロセスそのものであり、そうした変化をよりよく促すための智慧の技法なのだ。社会が人によって成り立っているかぎり、社会をよりよい方向に変えていくには、よりよき教養が不可欠である。そしてそうであるなら、あるべき教養の姿はまた、社会の変化に応じて自ら変わることを求めるはずだ。教養を変えていくのもまた教養のなせるわざであろうし、そうでなければ、わたしたちは自らの力で自らを変化させていくことを成しえないだろう。
「変わる教養、変える教養」——。わたしたちは、今日の時代と社会条件の下で、いかなる教養を望むべきだろうか。そのために、いまある教養をどのように変えていくべきだろうか。この講義では、こうした問いを受講者の皆さんと共に考え抜きたい。それは、未来に向かってどのような社会を望み、いまある社会をどのように変えていくべきかを考えることとほぼ同義である。
この講義を、「30年後の世界」に向かって、新しい時代の、新しい人の教養を共に鍛える場にしたいと願う。
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学術フロンティア講義 (30年後の世界へ——変わる教養、変える教養)
石井 剛
S1
S2
金曜5限
実務経験のある教員による授業科目
NO
他学部履修
不可
第1回(4月14日) ガイダンス
第2回(4月18日) 享受の快——カントと嗜好品
國分功一郎(総合文化研究科、哲学)
第3回(4月25日) 30年後30歳になる君たちに90歳になる私ができること:新しい発達科学の創成
開一夫(情報学環/総合文化研究科、発達認知科学/赤ちゃん学)
第4回(5月2日) 教養の力で変える未来:インクルーシブな社会の実現に向けて
細野正人(総合文化研究科、認定精神保健福祉士)
第5回(5月9日) 脳を変える教養、AIに変えさせない教養
酒井邦嘉(総合文化研究科、言語脳科学・脳計測科学)
第6回(5月16日) 壁を越える力をいかに身につけるか~専門家のためのリベラルアーツ
藤垣裕子(本学理事・副学長、科学技術社会論・科学計量学)
第7回(5月30日) Ideas for A Changing World –– Reconceptualizing Myriad Things
宋冰(バーグルエン研究所副所長、同中国センター主任)
第8回(6月6日) The Personal Voice in What It Is To Be Classical: The Essay As Form And Content in World Literature
張旭東(ニューヨーク大学、比較文学・東アジア研究)
第9回(6月13日) 孤独者の教育:技術世代の生命体験と世界イメージ(中国語逐次通訳あり)
李猛(北京大学、哲学)
第10回(6月20日) 学問の開放性と横断性
梶谷真司(総合文化研究科、哲学・比較文化)
第11回(6月27日) 教養と政治哲学ーーレオ・シュトラウスを手がかりとして
王欽(総合文化研究科、比較文学)
第12回(7月4日) 古典の最終章を書く
中島隆博(東洋文化研究所長、中国哲学・世界哲学)
第13回(7月11日) 「文理融合」とは何の謂か——「脳化社会」の教養
石井剛(総合文化研究科、中国哲学)
この講義は、ダイキン工業株式会社と東京大学の産学協創協定によって運営される東アジア藝文書院が主催するものであり、授業にはダイキン社員も聴講に来ます。学生と社会人が抽象的な学問的課題を共に学び合う新しい教室を創出する試みです。また、事後には編集を経てUTokyo OCWという東京大学の動画配信プラットフォームから授業内容が配信されるだけでなく、毎年、書籍として刊行されています。「30年後の世界へ」という展望のもとに大学が社会と共に学問的想像力を培おうとするこうした仕掛け自体が新しい「教養」の実装であり、「変わる教養、変える教養」という命題に対するわたしたちからの回答でもあります。
こうした趣旨を踏まえて、履修者の皆さんには教室の外でも教養とは何か、いかなる教養が望ましいのかについて貪欲に考えてくださることを期待します。