◆開講場所
本郷キャンパス、オンライン、フィールドワーク先のいずれか
◆なぜいまフィールドワーク?
私の研究の背景をある程度伝える必要があります。
私はこれまで政治・行政、マスメディア、学校教育、まちづくりなどの現場において、フィールドワークを行ってきました。例えば、レギュラー出演するNHK福島放送局のラジオ番組は10年目。義務教育期間以上の時間関わっていて、その中で現代社会とメディア・放送局の実態を参与観察してきました。
一方で、原発や新宗教、あるいは繁華街など、いわゆるアンダーグラウンドなイメージと結びつけらやすく、コントラバーシャルな領域にも足を踏み入れ続けてきました。例えば福島第一原発には100回以上入り、書籍をつくり、原発構内からははじめてのNHKラジオ全国生放送の企画に関わった上で出演し、内部の音声を記録したサウンドスケープ作品のCDリリースをしてきました。つまり、普通は避けられるし、望んでも誰もが立ち入れるわけではない力学がはたらく現場にいってそこで起こっていることを様々な切り口でインプットし、その現実を時空間を超えるような方法を用いてアウトプットする、という現場を媒介にしたインプットとアウトプットとの往復の作業を続けてきました。
このフィールドワークを通した「往復の作業」は大学が社会で果たす重要な機能である研究・教育の両面で効果があると再度注目をされています。東京大学も「フィールドスタディ型政策協働プログラム(FS)」「体験活動プログラム Hands-on Activities」などをつくって学生を様々な現場に送り出して久しく、ハーバード大学ビジネススクールやミネルヴァ大学でフィールドスタディが重視されているという話題を聞く人も多くいる状態になっています。
しかし、「なぜいまフィールドに出ることが重要なのか」という点については、必ずしも多くの人が深い議論をしているわけではないように見えます。
なぜか。一つの答えは、「人々のリアルへの需要をイメージの供給をもって代替する構造が不可逆的に深化してしまっているから」ということです。どんな現場にも、深く入り込むほどに、例えば、表面的に見ただけでは気づかないような職人の創意に驚かされ、外から・上から言われる綺麗事だけでは済まされない実態に言葉を失う経験が増えていきます。ただ、そういったリアルなことは様々に外に届きにくくなっています。変わりに表面的なイメージたる「真実」「正義」「(インスタ)映え」等々が流布し、象徴同士の主導権を奪い合うゲーム、不毛な闘争が繰り広げられています。
もっと具体的な話をします。
例えば、30年ほど前の阪神・淡路大震災の時の報道映像を参照すると、避難所の中の様子やそこにいる人々の顔がなんの躊躇もなく映され、水が流れず汚物がたまったトイレが映像のど真ん中に置かれます。しかし、東日本大震災・福島第一原発事故のときにどうだったのか。そして、能登半島地震でどうか。そこに映る人の具体的な顔や汚物は消えていきます。いま避難所内や汚物を映せばどうなるか。説明をするまでもありません。
それに変わって飛び交うのは表面的な「真実」や「正義」です。 例えば、「復興が遅い、時間が経ってもなにも進んでいない、何やってるんだ」と、ある種の被災地報道の定型句が繰り返されます。
しかし、現場において、この「真実」「正義」の物言いに災害復興の最前線に立つ人々が苛立ちを見せる場面を私は何度も目撃してきました。
マスメディアやオピニオンリーダーが「復興の遅れ」を嘆いてみせる背景には、政府・行政への批判や被災者への同情の念があるでしょう。しかし、その「正義感」や「善意」に憤る人が被災地にはいる。なぜか。それは、災害復興に関わる人々が、自らの歩んできた被災後の時間をその「正義感」「真実」の言葉に否定されたように感じるからです。
その現場にいる多くの人が、不足点はあるにしても復興が少しずつ着々と進んでいること、自らがその復興を進めてきたプレーヤーの一人であることを自覚している。公務員も土木作業員もコンビニ店員も農家も、その多くが被災者であり、復興の担い手であり、ベストをつくしてきた。その現場の苦労を知らない外野の人間が、偉そうに評論をし、枝葉末節をあげつらって「何も進んでいない」などと皮相的に結論づける。これは、現場の努力への蔑みであり、これほどの無責任な侮辱はない、と。
この不幸で、埋めがたいズレは1年ほど前の能登地震についても、15年ほど前の東日本大震災についても、同様に起こり続けている。もちろん、30年ほど前の阪神・淡路大震災の時のように、勝手に避難所に土足で踏み込み許可もなく人の顔を晒すようなことは避けられるべきです。他方で、「正義感」や「善意」のズレをいかに解消できるか。この「解の無い問い」の答えは現場に行き、そこに生きる人たちの内在的論理を知ることの中にあります。
「人々のリアルへの需要をイメージの供給をもって代替する構造」の背景には、例えばコンプライアンス、プライバシー、セキュリティといった概念と共に語られる社会の規範意識の変化があります。東京大学もDEI(Diversity, Equity and Inclusion)の拡充に向けて努力を続けているところですが、その実現のためには単に崇高な理念を字面だけで追うのではなく、イメージの壁を乗り越えてリアルに触れるために自らフィールドに出る中でその理念の実現に近づこうとすることもまた重要なはずです。