私の父は生きていれば今年100歳になる。80年前、本学経済学部から学徒兵として出陣、関東軍に配属され満州で終戦直前から、予想しなかったソ連軍と交戦、捕虜となりシベリアで油田開発の強制労働に投じられ病気となったおかげで復員でき、私も生まれた。なぜこんなことを書くかというと、100年前、旧制期の学生は男女を問わず「詩歌・句」を詠んだ。特に男子は国民皆兵だったので幾つも辞世の句を詠んだ。このコマは2016年、俳句の金子兜太さん(1940年経卒)と映画監督の高畑勲さん(1959仏文卒)のお二人をお引き合わせした際、今の東大生は「辞世」が詠めるか? あと数日の命と知ったとき、何を創り出し、何を遺すだろう、といった重い話をした際に、こういう授業があったらよいだろう、とブレインストームして考えた。「何かを創る」以上のことは敢えて決めないが、前学期は「コミックス編集者」を希望する者が多かったので、集英社・少年ジャンプ編集長OBなど編集者、桐木憲一氏などコミック作家との場を持ち、単に考えるだけではなく手を動かすモノづくりにアプローチするようにした・・・が、どの程度出来たものか。今学期はもう一歩進んだ領域に進められたらと思っている。