学内のオンライン授業の情報漏洩防止のため,URLやアカウント、教室の記載は削除しております。
最終更新日:2024年4月22日
授業計画や教室は変更となる可能性があるため、必ずUTASで最新の情報を確認して下さい。
UTASにアクセスできない方は、担当教員または部局教務へお問い合わせ下さい。
東洋古典学
中国古典に親しむ
中国古典文学を概説します。
日本のことばと文化は、中国と深い関係で結ばれてきました。本講義は、その深く関わってきた中国を、古典という観点から解きほぐします。また併せて、原文の読解を通じて、皆さんが漢文の読み方をよりいっそう上達させる、そうした機会に供することも目的とします。
いったい日本人は中国の古典を、「訓読」という方途を通じて受容してきました。それゆえ日本語の文体は、やまとことばだけでなく、漢文(中国古典文)とも深く結びつきながら成立しています。漢文は大切な文章においてこそ用いられ、たとえば書物の顔ともいうべき序文は、たいてい漢文訓読体で書かれています。江戸の国学者は漢意(からごころ)を否定しますが、しかしその序文は漢文訓読体そのものです。おそらく漢文訓読体でなければ書けなかったのでしょう。言文一致運動以前は、話し言葉で序文を書く、という形(かた)が無かったからです。
漢文(中国古典文)の影響は形式だけでなく、もとより内容においてこそ深く浸透していました。漱石は『文学論』で言います、「余は少時好んで漢籍を学びたり。之を学ぶ事短きにも関らず、文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり」と。左国史漢とは、春秋左氏伝・国語・史記・漢書のことであり、いづれも中国の歴史書です。文芸書ではありません。漱石はこれを、内容を楽しんで愛読していたことが解ります。
中国古典は日本人の心に根を下ろし、各人の関心と必要に応じて息づいています。本講義を通じて、そうした中国古典への理解を深めてゆきましょう。そして次は、あなたの心でも息づくことを願いつつ。
MIMA Search