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最終更新日:2025年4月21日
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市民社会・国家・教育
「新自由主義」概念・再考
今回の授業では、「新自由主義」という社会モデルに注目し、その理論的射程、妥当性、教育研究との接合可能性について、関連する文献・論文を読み議論を通じて検討する。テーマの背景は以下の通りである。
19世紀の批判理論の課題が貧困だったとしたら、20世紀後半までのそれは管理国家/社会だった。戦後の進歩的な教育学もその社会像を敵手として、子どもの自発性・主体性、水平的なネットワーク、参加や多様性の促進などを変革の賭金と見なしてきた。
その構図が反転したのが新自由主義という社会モデルだった。それは、社会・国家の諸領域を市場のルールのもとで強権的に再編する統治性とされ、管理的な福祉国家体制(公教育も含む)を縮小・解体するために、柔軟性や自発性を活用・動員するとされた。その中で、安易な形で主体性や選択肢・多様性の増大を称揚することは、良くてお花畑、場合によっては統治の強化と共振する利敵行為とみなされるようになる。リベラルの言説磁場は大きく変動した。
この構図は2000年代以降の教育研究にも大きな影響を与えた。日本のアカデミズムの中で、新自由主義の概念を最も用いてきたのは、実は教育研究の領域だった。教育格差・子どもの貧困の拡大、教員の労働環境の悪化、大学への統制強化など様々なイシューが「新自由主義」という概念の下で捉えられ、実証研究/思想研究/実践の枠を越えた連携が緩く築かれた。
その構図は再度揺らいでいる。日本では2010年代半ばから大規模な財政出動・金融緩和が顕著になる中で――緊縮に苦しむ欧州では再注目されるようになったのとは逆に――新自由主義概念はオワコン化したと喧伝されるようになった。現在は世界に目を向けると、自集団の利益のために市場的理性すら恣意的に歪める一方、多様性に対して攻撃する政治が前景化している。これは「資本の論理」の徹底にも見えるが、経済的にも文化的に「自由主義」からすら離れていく側面を持つ点では、新たなフェイズかもしれない。
このように「新自由主義」概念との距離が意識されるようになり、様々な議論が出揃った現在こそ、本概念の性能について冷静に吟味する好機だと考えられる。この概念はいかなる社会の観察のもとにリアリティを獲得し、認識利得はどこにあったのか。教育研究はその概念のもとで何を明らかにし不可視化してきたのか。我々は今後いかなるモデルの下で社会を捉えていくことができるのか。これらの問いについて様々な角度から検討していきたい。
なお受講の上で専門的な知識は必要ありません。今はどういう時代なんだろう?という疑問があれば十分です。
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