学内のオンライン授業の情報漏洩防止のため,URLやアカウント、教室の記載は削除しております。
最終更新日:2025年4月21日
授業計画や教室は変更となる可能性があるため、必ずUTASで最新の情報を確認して下さい。
UTASにアクセスできない方は、担当教員または部局教務へお問い合わせ下さい。
近代とニヒリズム
近代とニヒリズム――カントからニーチェへ
この授業ではカントからニーチェまでの近代ドイツ哲学の流れを概観する。19世紀ドイツはさまざまな独創的な哲学思想を生み出した時期であり、後世への多大な影響を考慮して最近の研究ではこの時期の思潮は「ドイツ古典哲学」と称されることもある。この間の哲学的立場はきわめて多様であるが、それぞれの哲学が何を求め、どのような問題に直面していたのかを理解するためには、比較的大きなコンテクストを想定し、学派や思潮の間にある有機的連関を捉えることが有効である。
この時期のドイツ哲学を論じる際にはしばしば、19世紀初頭のいわゆる「ドイツ観念論」の成立と退潮に確認される「精神的断絶」(レーヴィット)からまとめられる。とはいえこのような整理では、なぜある時期にある傾向をもった思想への熱が高まり、またそれがなぜ急速に冷めていくのか、説明が難しい。そこでこの授業では「カント哲学への応答と対処」という観点をひとつの考察の軸としてみたい。応答と対処の仕方はさまざまであるが、哲学者たちが直面した問題はカントの啓蒙主義的な批判哲学によって空いた穴をどのように塞ぐか、ということにきわまる。このような見立てを用いて、ヘーゲルに代表されるドイツ観念論の議論を通過しながら、ニーチェに至るまで線を引くことにする。
カント哲学の残した問題とは、大きく見れば「西洋近代」と「ニヒリズム」(伝統的な価値観や世界に対する意味づけ可能性の喪失)に関わる。西洋近代という時代文化をある特定の観点からのみ提示することはできないが、ここではとりわけ「自分の頭で考える」という要求に着目してみたい。「自分の頭で考える」ことの必要性は現代日本の社会に生きるわたしたちにとっても自明であるし、哲学の伝統にとってもその根幹をなす態度だと言える。しかし仮にそうだとしても、わたしたちはなぜそれほどまでに、自分の頭で考えなければならないのだろうか。あるいは、あえて「自分の頭で考える」ことが求められるのは、どのような状況だろうか。ある側面から見れば、そのような思考の要求とはある種の突き放しであるともいえる。自分で考えろ、誰も答えを教えてくれないのだから(あるいは誰も答えを知らないのだから)、と。このように見るなら、思考の要求がようやく常態化した時代 ―― それがすなわち「西洋近代」である ―― の特殊な精神性が際立ってくる。授業では「あえて知れ」というカントのモットーを出発点として、カント以後の哲学者たちの思索を「ニヒリズム」への対処という観点から整理してみたい。
もとより対象となる思想家・哲学者は多岐にわたるため、ひとつひとつの難解なテキストを詳細に紹介・分析するというより、そうした研究のための一助となるような、ある程度の幅をもつ理解の形成を目指す。
授業の到達目標
・近代ドイツ哲学の基礎知識を身につける
・西洋哲学史のおおまかな流れと、そこに通底する問題を理解する
・哲学の諸問題について自分で考え表現できるようになる
MIMA Search