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最終更新日:2024年10月18日
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歴史実践における口承/環境/叙述
書くことをめぐる葛藤
実証主義歴史学においては、文字で書かれた文献資料は不可欠の前提であり、考古学や民俗学など過去を扱う隣接諸科学との境界をもなしている。そうして伝統的な進歩史観においては、文字は農耕や都市などと並び、常に文明の指標のひとつとして数えられている。しかし、早く柳田国男が民俗学創出に際して批判したように、文字筆記には否応なく、権力と階層差の問題が内在している。また、かつてレヴィ=ストロースが指摘し、ピエール・クラストルやジェームズ・C・スコットが立証してきたように、民族社会には文字忌避の心性が根強く広がっている。しかし、文字を拒否した、あるいは文字を喪失したとの伝承を持つ少数民族も、決して歴史の概念を持っていないわけではない。当然のことだが、口承の複雑な話型を駆使して過去を語る人びと、数百年にわたる系譜を正確に伝える人びとにとっては、文字は歴史実践の不可欠の要素ではありえないのである。さらに、保苅実が鋭く捉えたとおり、口頭による歴史語りが文字記述と比較して不正確であり、信頼に値しないとの判断は、西欧近代科学を至上の価値基準とする、偏ったものの見方に過ぎない。本講義では、これまで歴史学が文字に与えてきた特権性を相対化しつつ、日本を含む東部ユーラシアの古代、少数民族の社会、あるいは仏教や道教の思想世界を往還しながら、ヒトの歴史実践における文字の意義、〈文明〉なるものにおける文字の功罪について考えてゆく。具体的な事例には、ヒト至上主義を批判し、ジェンダー・フリーな社会を実現してゆくため、アンスロポセンや性差別に関する史資料を多くとりあげる予定である。
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