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最終更新日:2024年4月22日
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マイノリティーの環境史/倫理学
マイノリティーの環境史/倫理学
現在歴史学界においては、パブリック・ヒストリーという領域=運動が盛んになりつつある。これは、歴史実践を職業歴史家の独占から解放し、一般社会との交渉において、より公正かつ公共的な歴史のあり方を目指してゆく試みである。その範疇は、学校教育から博物館展示、歴史を題材としたアニメーションやゲームまで多岐にわたるが、現在支配的な位置を占める歴史言説に対し、異議申し立てを続けてゆくことにも大きな意味がある。それは、現行の歴史言説が、必ず何かを隠蔽、抑圧することによって、何かの忘却や不在によって、自己実現を図っているためである。
例えば、現在支配的なの歴史叙述のあり方は、男性選好の強い社会情況と相互構築の関係にあり、かかる現状に適応できない男性や女性、そして性的マイノリティーの人びとを強く抑圧している。家父長制やルッキズムと密接に結びついた〈男らしさ〉〈女らしさ〉は、前近代の歴史事象の恣意的な運用によって正当化されている。さらに、アンスロポセンの観点からすれば、ヒト至上主義の歴史叙述は、他の動植物、人間以外のアクターを抑圧することによって成立しているといえよう。中高までの教科書を典型とする一般的な歴史の語り方においては、動物や植物はヒトの文明の〈素材〉でしかなく、それぞれが歴史の主体として描かれることはない。多くの人びとは、そうした歪んだ歴史語りを〈事実〉として記憶させられ、現行社会の絶えざる再生産に参加させられているのである。
本講義は、これら歴史的に隠されているモノ・コトのうち、ジェンダー、および動物に光を当てる。そして、個々の事例の分析を通じ、歴史/環境/倫理にわたる問題系を明らかにすることで、パブリック・ヒストリーの実現に資することとしたい。
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