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最終更新日:2025年4月21日
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東洋古典学
中国古典をどう読むか:『論語』を例に
日本における「古典」とは何かと問えば、『万葉集』や『源氏物語』などと並んで、『論語』『史記』などの中国古典が挙げられるだろう。むしろ、近代のある時期に至るまでは、儒教の経典をはじめとする漢籍こそが、日本人の学ぶべき古典として意識されていた。中国はもとより、日本を含む東アジアについて、少しでも歴史的視点から考えようとするなら、漢籍とのつきあいを避けて通れない。
日本は中国とともに今も漢字を使い続けており、高等学校でも漢文を学習するから、日本で教育を受けてきた者は、漢籍の理解については比較的有利な位置にあるように思えるが、それでも実際の漢籍にふれれば、戸惑いを禁じ得ないだろう。それは漢文読解力の不足によるところが大きいが、それとともに、漢籍が長年にわたって読み継がれてきた伝統や、その中で生まれた種々の約束事を学ぶ機会がなかったからである。
そこでこの授業では、「経書」(儒教の経典)に絞ってそのあらましを講述し、さらに『論語』について、実際の解釈の作業を体験してもらう。東アジアを歴史的視点から研究しようとする者に、その土台を築くことが目標である。
『論語』は、いわゆる「四書五経」のうち四書に含まれるが、もとは経書ではなかった。本来、経書とは五経のことであり、それは孔子が伝え教えたとされるものであって、孔子自身の言葉ではなかった。しかし、孔子の言葉を収めた『論語』も尊重されるようになり、朱子学において四書が重んじられると、五経と同等以上の重みを持つようになった。このように書物としての地位が変動したことに加え、短い断章の集積であるため、その読解は注釈に大きく依存せざるを得ない。章によっては、注釈によって解釈が一変することもある。
既存の訳に頼らず、自ら古典にふれてみようと思う者は、東アジアを専門としなくても、受講の資格がある。スタートラインとしては、高等学校卒業程度の漢文の知識があればよく、それは入試において保証されているはずである。
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