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最終更新日:2026年10月16日
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比較文学比較文化論演習II(3)
十五年戦争の時空と文学〜戦場としての中国と日本文学
鶴見俊輔『戦時期日本の精神史1931〜1945年』は、十五年戦争の起点を1931年の満州事変に置いている。満州事変によって、中国社会は、東北地方から難民が各地に流出し、抗日・反日の機運が高まるなど、大きく動揺したが、日本国内にそれに見合うような大規模な社会変動は見られなかった。そんな中で鶴見が注目したのは、大量の左翼活動家の「転向」だった。十五年戦争をくぐり抜けて戦後、作家として活躍するようになる日本の作家には、大なり小なり「転向」の傷を負った者が少なくない。代表的な戦後派作家の一人武田泰淳(1912−1976)も、広い意味では、その一人と言えよう。彼は1937年に応召して1939年までまる2年間中国の華中地域で従軍生活を送った。武田泰淳の作品には、1944年から46年までの上海時代の生活を反映した作品が多いが、従軍生活を反映した作品(「蘆洲風景」、「審判」、「悪らしきもの」、「冷笑」)も書き残している。
泰淳同様招集されて中国で従軍生活を送った作家に田村泰次郎(1911−1983)がいる。田村泰次郎の従軍生活は泰淳のそれとは大いに違った。泰淳が、輜重兵(後方で主に補給を担当)として2年間を華中で送ったのに対して、田村は、宣伝慰撫を主な軍務として、山西省を中心に華北で終戦まで足かけ7年弱も戦場にあった。有名な「肉体の門」(1947年)より前に執筆・発表した「肉体の悪魔」(1946年)は、山西省での従軍生活の中の特異な一幕を描いた作品で、発表当時まだ日本にはあまり知られていなかった延安(中国共産党根拠地)の状況も伝えている。田村が過ごしたその時空は、軍務が一部重なっていた洲之内徹(1913−1987)と共有されており、「肉体の悪魔」の中の時空は洲之内徹の「棗の木の下」(1950年)のそれとほとんど重なっている。なお、洲之内も、1930年代前半までは左翼運動の有力な活動家で、広義の「転向」体験があった。田村も洲之内も戦後に、従軍生活(あるいはその前後)を描いた小説を何篇も書いている。
実は、田村と洲之内が共有していた時空は、都市のプチブルジョアから軍服を着た共産主義者へと転身した中国の女性作家丁玲(1904−1986)が陝西省(山西省の隣)延安で書いた短編小説「霞村にいた時(我在霞村的時候)」(1941年)の中の時空とも微妙に重なりあっている。丁玲は何度か山西省に入って八路軍(華北の中国共産党軍)と行動をともにしているが、田村の「肉体の悪魔」と丁玲の「霞村にいた時」はいずれも、非常に興味深いことに、村落の若い中国人女性と、侵略者である日本軍兵士との間の微妙な性的関係に触れている。そこには、容易には説明できない個々の生のあり方が複雑に絡み合う形で、戦場における生命の冷徹な危機と統治権力による過酷な弾圧をまがりなりにも切り抜けた人々による、苦衷に満ちた鮮烈な生への意志が露わになっている。(丁玲「霞村にいた時」も執拗に転向を疑われる中で書き上げたものである。)
伊藤桂一(1917-2016)も、まずは騎兵として朝鮮半島に送られたが、その後山西省の過酷な戦場に赴き、田村、洲之内と時空を一部共有し、帰国後、作家として多彩な活躍をした。他にも、中国での凄惨な従軍体験を抱えながら戦後社会を生き抜いた作家は何人もいる。中国文学研究者としても知られ戦後多くの著述を残した駒田信二(1914-1994)は、従軍中瀕死の状態で重慶の国民党軍の捕虜となり処刑寸前までいったし、戦後の爆発的なベストセラー『人間の条件』の作者五味川純平(1916-1995)は、終戦間際の絶望的な対ソ連戦の前線に投入され、からくも生き残ったという経歴を有する。
それぞれに異なった条件下で兵士として従軍せねばならなかった作家達。その作品のいくつかをピックアップして全員で精読していき、そしてできれば、それらを日中比較現代文学史の構想の中に位置づけることを考えたい。(丁玲や趙樹理を読む場合は日本語訳を使う。)
なお、本授業で読むテキストの中には、ショッキングな戦場描写や現在の感覚では強い抵抗を感じるような描写が頻出する。熟慮の上で受講していただきたい。集まった受講生の顔を見ながらから、授業運営の仕方を調整する。
初回から対面で実施する。授業時間は105分(10:25〜12:10)で行う。
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