(1) 認知心理学とは:一つのあるべき姿と現状
認知心理学が直面している閉塞感と再現性の危機を概観し、その根源が実験室という方法論的枠組みの構造的限界にあることを論じる。Neisserの自己批判(1976)を軸に、「生態学的妥当性の欠如」という問題を歴史的・哲学的に位置づける。
(2) 還元主義の系譜——行動・脳・シンボルへの還元
行動主義・脳神経科学・大規模言語モデルという三つの還元主義の波を概観し、認知心理学自身が情報処理モデルという還元主義を内側から推進してきた当事者でもあったことを論じる。三つの還元主義に共通する構造である、個人・文化・環境・文脈の捨象について整理する。
(3) 日常文脈での認知研究の哲学的・方法論的基盤
Brunswikの確率論的機能主義と代表設計の概念を中心に、日常文脈での認知研究が依拠する哲学的・方法論的基盤を論じる。客観的計測とモデルベースの理解を維持しながら、なぜ情報学の方法論が論理的に必要とされるかを整理する。
(4) 経験サンプリング法とモバイルセンシング
経験サンプリング法(ESM)の理論的背景と、スマートフォン・ウェアラブルデバイスによるデジタル実装を解説する。加速度計・GPS・心拍データ等と心理変数の対応付けの方法論、および研究倫理上の問題を扱う。
(5) デジタル行動ログの心理学的解釈
検索履歴・アプリ使用記録・移動軌跡などのデジタル行動ログが、「文脈を保持したままの認知的行動の客観的記録」という新たなデータ類型として持つ方法論的意義を論じる。ログデータの利点と限界、解釈上の問題を整理する。
(6) 自然言語処理と心理学的構成概念の計量
テキストデータ——SNS投稿・日記・会話ログ——から心理変数を抽出する手法を概観する。LIWC・トピックモデル・大規模言語モデルを用いたアノテーションを取り上げ、心理学的妥当性の観点から各手法を比較検討する。
(7) 記憶の日常文脈研究
符号化特異性・検索誘発忘却・外部記憶の理論を前提に、デジタル環境が記憶方略と記憶成績に与える影響の実証研究を検討する。「Googleエフェクト」研究を事例として、ラボ実験とフィールドデータの知見の対応と乖離を議論する。
(8) 注意の日常文脈研究
注意の制御理論と認知負荷理論を前提に、スマートフォン通知・マルチタスク・環境騒音が注意に与える影響の日常文脈研究を検討する。「注意」という構成概念の日常場面での操作化がいかに難しいかに焦点を当てる。
(9) 意思決定の日常文脈研究
二重過程理論とプロスペクト理論を前提に、A/Bテスト・フィールド実験・自然実験の手法を用いてUI設計や日常的な選択場面が意思決定に与える影響を測定した研究を検討する。大規模フィールド実験における因果推論の問題を論じる。
(10) 感情と動機づけの日常文脈研究
感情の価—覚醒モデルと感情調整理論を前提に、ESMと生理センサを組み合わせた日常の感情変動研究を検討する。自己報告感情データと生理データ・行動ログの乖離問題、および感情の個人内変動と個人間差異を扱う。
(11) 空間認知と移動の日常文脈研究
認知地図とランドマーク理論を前提に、GPSトラッキングデータと地図アプリ使用ログを用いた空間学習・ナビゲーション研究を検討する。デバイス依存が空間認知能力に与える影響の因果的検証の難しさを議論する。
(12) 体験と学習の日常文脈研究
一期一会など、1回の体験がどのように人間の信念や行動を変えるのかに関する研究を取り上げ、これらをベイズモデルなどで記述するアプローチについて紹介し、実験心理学における繰り返し測定の原則に対して、どのような新しいアプローチが可能かを議論する。
(13) 認知機能の個人差としてのパーソナリティに関する日常文脈研究
SNS投稿・行動ログ・ESMデータを用いたパーソナリティの計量的推定研究を取り上げ、実験室での質問紙測定では捉えられなかった「日常場面でのパーソナリティの発現」を研究対象とすることの意義を論じる。また、パーソナリティの個人差を「誤差」として除去するのではなく、認知の個人内変動と個人間差異を説明する変数として積極的にモデルに組み込む方法論的アプローチを議論する。
(14, 15) フォローアップ、まとめと総合討論
授業全体を通し、説明が不十分であったところや、授業中に出た疑問点などについて、補足的な解説を行うとともに、全体を通じてのメッセージをあらためてまとめて、全体的な理解を促す。