学内のオンライン授業の情報漏洩防止のため,URLやアカウント、教室の記載は削除しております。
最終更新日:2026年10月16日
授業計画や教室は変更となる可能性があるため、必ずUTASで最新の情報を確認して下さい。
UTASにアクセスできない方は、担当教員または部局教務へお問い合わせ下さい。
美術史学特殊講義XV
西洋美術史における「ラファエッロ主義」研究
本講義では、なぜラファエッロが西洋美術の規範として崇拝されるようになったのか、その理由を検証する。
18世紀、ドイツにおいて古典主義を確立したヴィンケルマンは著書『ギリシャ芸術模倣論』において「古代彫刻とラファエッロ」を手本とすることを若い芸術家に向けて推奨した。なぜなら、ラファエッロの芸術には古代が消化されているからだ」と言う。しかし、ラファエッロは死後もその名声が朽ちることなかったのには、それだけが理由ではないはずだ。ラファエッロが常に芸術家たちの手本であり続けたのはなぜなのだろうか。
その謎に迫るために、まずはラファエッロをコレクションした各宮廷コレクションについて検証することから始めよう。なかでも、ドレスデン宮廷がラファエッロ作品を所有することへの情熱と、ポツダム宮廷では、画家たちの手本となるような模写を集めた「ラファエッロのギャラリー」を作り出したことに焦点を合わせる。コレクション・アイテムとしてのラファエッロと、自国の美術の趣味の向上を促したラファエッロ作品の美術史における意義を明らかにしたい。
次に、版画という紙媒体によるラファエッロ作品の伝播と、版画を手本として利用した美術アカデミーでのラファエッロ受容を見ていく。17−18世紀のフランスやドイツの美術アカデミーで手本とされたラファエッロは、バロック様式を予見するような「派手な身振り」と「劇的な光の効果」を特徴とする《キリストの変容》(1520年)が主体となった。しかし、アカデミーでのラファエッロ主義は次第に形骸化し、反発が高まっていく。すると、ラファエッロ後期の様式に意義を唱えた「前ラファエッロ主義」を標榜する反逆者たちが誕生することとなる。19世紀のドイツでは「ナザレ派」(聖ルカ兄弟団)が、そして、そのナザレ派に倣ってイギリスでは「ラファエル前派兄弟団」が結成された。彼らは、アカデミーで形骸化した教育の害悪が、全てラファエッロを無批判に倣うことから来ていると批判したのだった。こうした「反ラファエッロ主義者」の理念と活動を検証することは、かえって、アンチテーゼとしての「ラファエッロ主義」を浮き彫りに見せてくれるはずだ。さらには、ラファエッロに対する反逆精神が、近世から近代に至る西洋美術史の大転換、すなわち「モダニズム」誕生の基盤となっていたことも視野に入ってくるだろう。
MIMA Search