I 死への哲学
第一講 死を考える教室へ
あなたはなぜ死について考えるのか?──不謹慎な死
いつ、死について考えるのか?──深くて遅い思考のすすめ
○○人らしい死に方とは?──文化的価値観からの影響
第二講 死生学の射程
死生学は、よい死に方を教えてくれるのか?──マニュアルを超えて
死生学は、よい生き方を教えてくれるのか?──規範への自覚
死生学は、何を研究しているのか?──臨床系と人文系
第三講 死、それは経験を超えたもの
死について何をイメージできるのか?──暗さと明るさ
私は死を経験できるのか?──死の経験不可能性
臨死体験は死の経験ではないのか?──死後生の実在か、幻覚か
第四講 誰でもの死
どうして「誰もが死ぬ」と思うようになるのか?──子どもの発達に見る
誰が死んでも同じ死なのか?──死の人称カテゴリー
そもそも、なぜ生命は死ぬのか?──プログラムされた死
第五講 死を考える人間
人間だけが死を考えるのか?──他の動物における死の現象
死を考えずに生きることはできるのか?──死に向かう存在
死を考えながら生きることはできるのか?──厭世主義と自殺
第六講 哲学と宗教のアプローチ
そもそも生まれないほうがよかったのか?──反出生主義
死後を考えて生きるのは善い人生なのか?──哲学は死の練習
宗教は死をどのように扱ってきたのか?──死への馴致
II 死の文化
第七講 物語のなかの死
死の衝撃をどう和らげるのか?──死への馴致としての遊び
悲劇的な死をなぜ見たがるのか?──カタルシス説
ホラーをなぜ見たがるのか?──恐怖管理理論とエンタメの間で
第八講 メディアのなかの死
ゲームをしすぎると死を軽く見るようになるのか?──攻撃性をめぐる論争
死は消費の対象なのか?──死のポルノグラフィ
死はタブー視されているのか?──排除と包摂の力学
第九講 死の考古学
人はいつから人間らしく死ぬようになったのか?──突然死を集団で受け止める
狩猟採集民の寿命はどれくらいなのか?──洞窟絵画を生み出す短命社会
死後の世界はいつから始まったのか?──縄文人の葬送を読み解く
第一〇講 死の系譜学
神話は死の起源をどう語ったか?──創世記と日本神話
死が悪いものだと考えるようになったのはなぜか?──農耕と牧畜のインパクト
死を飼い慣らすのは誰か?──死の専門家の登場
第一一講 近代世界における死
私たちは長く生きるようになったのか?──「死に至る軌跡」の現在
病気は自己責任になったのか?──死のリスクに満ちた人生
認知症や孤独死は避けるべきなのか?──死の社会モデル
第一二講 現代宗教・スピリチュアリティと死
現代人は死後の世界を信じているのか?──死後観の世界地図
遺体処理と信仰は関係あるのか?──土葬と火葬の変化
死別の悲嘆を家族は受け止められるのか?──死者との共同性
第一三講 未来を生きるための死生学
私たちは感染症を克服したのか?──死のリスク社会論
死は選べるのか? 選ばなければならないのか?──死の自己決定
人間は不死になれるのか?──テクノロジーと死の未来