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最終更新日:2026年4月20日
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死生学特殊講義IV
受容性から考える倫理的な生の諸相:ケアの倫理を起点として
これまでの英語圏の倫理学においては、倫理的な主体ないし人格は、自己の振る舞いを合理的な仕方でコントロールする存在だとしばしば見なされてきた。例えば計画・方針・約束・契約等の事前のコミットメントに基づく合理的制御/統御という観点から、「自由」や「責任」の問題が論じられることが多かった。
しかしこのような考え方に対して、ケアの倫理の代表的論者であるネル・ノディングズらは、「合理的なコントロールを(部分的にであれ)手放すことこそが、他者や世界への倫理的な関わりを可能にする」と主張してきた。自己の外部に対する合理的なコントロールが行き過ぎたものになると、他者を意のままにコントロールしようとする「操作的なあり方」もまた強まってしまう。その結果、私たちは他者を尊重することも、他者に対して責任のある態度で応じることも難しくなる。ノディングズ、さらに徳倫理学者としても著名なマイケル・スロートは、そのように考えた。
彼女/彼らは、この「操作的なあり方」を和らげるものとして、自己の外部から訪れるものを感受する「受容的なあり方」に着目した。そして、受容的なあり方が、例えば他者の声を聞くということや、他者と共に感じるということ(feeling-with/empathy)を通して実現されると考えた。このような受容性を重視する方向性は、徳倫理学の代表的論者であるクリスティーン・スワントンの最近の著作でも顕著になってきている。
そこで本講義では、彼女/彼らの議論を参照しつつ、「受容性」という観点から、私たちの倫理的な生を豊かに捉え直すことを試みる。まずはノディングズのケア倫理において受容性がどのように特徴づけられているのかを見る。次に、成熟した共感による受容的なあり方を徳として捉えるスロートの見解や、愛のある態度を徳として捉え、それを受容性から特徴づけるスワントンの見解を検討していく。さらに私自身の議論の展開として、「受容性」というアイデアを、臨床におけるケア実践を参照しつつ、他者のタイミングやペースを鋭敏に感受するという観点から一層掘り下げることになる。ただしその際、それほど簡単に受容的になれない私たちの弱さもきちんと考慮に入れたい。
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