1 はじめに:古代ギリシア民主政はどのようにとらえられてきたか
ギリシア民主政はすでに同時代の哲学者などから否定的な評価を受けており、19世紀まで継承されたそのantidemocratic traditionは、正確な古代民主政の理解を今日まで妨げてきた。そのバイアスを明らかにし、今日問うべき課題を明らかにする。
2 ギリシア民主政の出現:ポリスの成立から前5世紀なかばまで
アルカイック期からポリスにどのようにして法の支配が出現し、貴族政・独裁政をへて民主政が実現し、前5世紀半ばに一応の完成を迎えたのか。アテナイ(アテネ)以外のポリスをも視野に入れながら通時的に俯瞰する。
3 アテナイ民主政のメカニズム
一人の超越的な権威や権力なしに、どのように平等な政治参加が実現したのか。アテナイ民主政を例に取り、民会、評議会、民衆裁判所、役人、そしてオストラキスモス(陶片追放)などの諸制度から、特有の支配のしくみと原理を明らかにする。
4 オストラキスモス(陶片追放)をめぐって
前6世紀末クレイステネスの改革で制定されたといわれるオストラキスモスについては、19世紀以来「オストラキスモロジー(オストラキスモス学)」とよばれるほどの膨大な研究史が積みかさねられてきたが、これまで発掘された1万個をこえる陶片にもとづく本格的な実証研究はこれからである。陶片追放がなぜ導入され、どのように行われ、そしてなぜ前415年ごろをさかいに用いられなくなったか、といった重要な問題を検討する。