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最終更新日:2025年4月21日
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人類生態学
人類生態学
現代社会で人間が直面する「問題」は、その根源をたどっていくと、私たちが望んだことが原因になっていることがおおい。たとえば、少子化という問題である。私たちは、少子化によって将来的に社会の担い手が不足することを懸念する。これは確かに問題である。しかしながら、少子化の背景にあるのは、結婚するかどうか/子どもを産むかどうかについて、個人の意志決定を尊重する「リプロダクティブ・ライツ」の考え方である。きっかけは、戦後、政府が打ち出した「少なく生んで大事に育てよう」というスローガンのもとに進められた家族計画だったかもしれない。いずれにしても、誰もが結婚して子どもを産み育てることが強く期待された(半ば強制された)旧来の社会からの転換は、ジェンダーの公平性という意味では望ましい変化だったに違いない。その流れのなかで、日本の合計出生率は一九四七年に四・五だったものが一九六一年には二を下回り、二〇二三年には一・二にまで下がった。
一方、高齢化も現代社会の大きな関心事となっている。現行の医療・社会保障システムは、現役世代が高齢者を支える仕組みになっている。そのため、人口の高齢化がすすむことで現役世代の負担が大きくなり、システムが持続できないことが懸念されている。しかし、高齢化は、個人の寿命が延び、皆が長生きできるようになったことの帰結である。皆さんは、小学生のころ、敬老の日に学校で「おじいちゃんおばあちゃん長生きしてね」という文言の入った手紙を書いた覚えがないだろうか。日本人の平均余命が八〇年を超えた今、その願いは、少なくとも集団レベルではかなえられたといってよい。個人の自由意思によって子どもを産むか産まないかを決定し、皆が長生きできる社会を実現したこと。すなわち、私たちが望んだことが少子高齢化という問題の根本にあるとすれば、その解決は容易ではない。
地球環境問題にしても、その始まりは産業革命である。産業革命が人間の望みをどれだけかなえたかは、それがあたりまえになった今の私たちには想像もできない。石油や石炭などの化石燃料を使うことで、十分な食料を生産し、快適な居住環境をつくることができた。医学の発展により、昔であれば治らなかった病気やケガに対処できるようになった。二一世紀に生きる人間が悩む食べ過ぎや運動不足、肥満は、かつての人間には全く無縁のことであった。産業革命前の人間は、一度でいいから好きなものを好きなだけ食べて肥満になる毎日を過ごしてみたいと夢見ていたのではないか。
私たちの快適な生活が原因となっているからこそ、私たちは地球環境問題を回避できなかったのである。現在、世界規模ですすめられている二酸化炭素の排出削減の技術開発は、地球環境問題の解決に少しは寄与するのかもしれないけれども、それが快適な生活の継続を前提としている以上は、根本的な解決策にはなりえないだろう。
少子高齢化や地球環境問題に代表されるような、人間の望みとともに出現した問題について、私たちが考える解決策は対症療法的なものになりがちである。少子化の問題については、出産や子育てへの経済的・社会的支援の充実が主たる対処策と考えられており、巨額の予算をつかってさまざまな政策が実行されているが、日本に限らずどの国・地域においても目覚ましい成果があがったとはきかない。高齢化の問題を解決するために、健康寿命を延ばし、従来よりも長く働いてもらう(年金支給の開始年齢をあげることはそれを推進する政策の一例である)ことや、社会の担い手となるべく若い外国人に日本国内に移住してもらうことなどが推進されているが、いまのところはその効果も限定的なようにみえる。
私たちが直面する「問題」の本当の原因を考えるためには、人間がそもそもどういう動物なのか、人間の生態を知ること、すなわち「人間の生態学」が有効である。多くの人にとって、人間の生態学がどういう領域なのかイメージするのは難しいだろう。そもそも、生態学とは、ある生物がどのように進化し、どのような生物的特徴をもち、地球上のどこにどのくらい分布し、何を食べ、それをどのように入手し、どのようなグループをつくり、子孫を産み育て、死んでいくのかについて考える学問である。ライオンやニホンザルの生態学があるように、人間も学名ホモ・サピエンスという動物なのだから、人間の生態学があってもよいはずだ。
人間を生態学的にみるということは、より普遍的な視点を重視するということである。別のいいかたをすれば、より長い時間軸と広い空間に位置づけながら物事を考えるということである。それができれば、人間が抱える問題の本当の原因と解決に向けての考え方を見通すことができるかもしれない。二〇二三年の日本の合出生率が一・二であったことを、私たちの社会では少子化の問題と評価するのに対して、生態学では、人類史上、最高の出生力を示したキリスト教の一派、ハテライトの合計出生率と比較して、日本人は潜在的な出生力の一〇パーセントほどしか使っていないと考える。そもそも合計出生率が一・二ということは、男女のカップルから平均で一・二人の子どもしか生まれておらず、一世代で人口が六〇パーセント未満に減少していることになる。すなわち日本人は絶滅危惧がされる状態にあるのである。
もうひとつ事例をあげれば、高血圧や糖尿病、がんなど、非感染性疾患と呼ばれるものは、現代社会の大問題である。多くの人が病院で薬を処方されたり、外科的な治療を受けたりしている。定期健康診断の結果に一喜一憂する私などは、非感染性疾患の問題に大きな関心をもつひとりである。一方で、人間の生態学の考え方によれば、こういう病気が増加したのは、人間が長生きをするようになったことが原因であり、人間はいつか死ぬのだから、長生きが原因の非感染性疾患などあまり心配しなくてもよいという達観した見方も可能である。実際、年齢の影響を取り除いた年齢調整死因別死亡率をみると、近年、ほとんどの非感染性疾患の死亡率は経時的に低下している。
定常的に直立二足歩行する動物である「人類」は、ホモ・サピエンス以外に二〇種以上存在した。私たちホモ・サピエンスは、人類のひとつの種であり、二〇万年ほど前にアフリカで進化し、地球上のあらゆる場所に拡散した。しかし、ホモ・サピエンス以外の人類は、それぞれが長いあいだ地球上で生存した後、全て絶滅してしまった。それらを踏まえると、ホモ・サピエンスも遠くない未来に絶滅すると想定することは、「人間の生態学」の考え方としては荒唐無稽なことではない。
この講義が、現代社会の私たちが直面する問題の根本的な原因を理解し、その解決を構想するきっかけとなってほしいと思っている。
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