「芸術」の定義の可能性または不可能性を探究する発見的方法として、二つのアプローチを用いる。
第一に、芸術概念を対象化するような、いかにもメタ芸術らしい作品例をいくつか取り上げ、その哲学的含意を検証する。具体的には、デュシャン『泉』と牛波『泉水』、スタニスワフ・レム『完全な真空』、アニメ「エンドレスエイト(涼宮ハルヒの憂鬱)」のほか、コンセプチュアルアートの出品拒否をめぐる論争などを予定している。
第二に、芸術性が帯びるさまざまな自己否定的な様相を考えることで、芸術の前景に隠れて見えにくかった背景的文化環境の特質を浮かび上がらせることを試みる。たとえば、芸術を拒むこと(反芸術)、単に芸術でないこと(非芸術)のほか、芸術を騙ること(贋作)、芸術を装うこと(キッチュ)、芸術を写すこと(レプリカ)、芸術を盗むこと(二次創作)、芸術に堕すること(疑似科学など)、芸術と化すこと(ファウンドアート)、芸術を脱すること(ファッション)、芸術めいたこと(娯楽、遊戯)、芸術を封じること(芸道)、芸術をぼかすこと(関係性の芸術)、芸術にあるまじきこと(悪趣味)、芸術として欠けるもの(第二芸術)、芸術かどうかわからぬもの(洞窟壁画)、芸術になりえぬもの(ポルノ等)、芸術たりうるもの(AI による制作物)……といった諸現象を具体例に即して体系化し、「真の芸術」にそれぞれの仕方で対立する仕方と理由を探ることにより、芸術の限界と可能性を考察していく。